●I JSUT DON'T KNOW WHAT TO DO WITH MYSELF

I JSUT DON'T KNOW WHAT TO DO WITH MYSELF
/Linda Ronstadt
song:Burt Bacharach, Hal David
produced by George Massenburg & Linda Ronstadt
        with Steve Tyrell

 Main Eventのコーナーで「ディオンヌ・ワーウィックV.S.ダスティ・スプリングフィールド」として取り上げた「I JSUT DON'T KNOW WHAT DO WITH MYSELF」をはじめて聞いたのは、実は1992年にリリースされたリンダ・ロンシュタットのアルバム「Winter Light」でリンダが歌ったバージョンでした。このアルバムは「DON'T KNOW MUCH」や「I NEED YOU」などをフィーチャーした大ヒット作「Cry Like A Rainstorm - Howl Like A Wind」の続編にあたります。当時、このアルバムの収録曲にクレジットされたバカラック/デヴィッド、ゴッフィン/キング、ジミー・ウェッブといった偉大なソングライターの名前の響きにはあまり馴染みがなかったわけですが、リンダのこの愛情溢れる大人の手ほどきを受け、ディオンヌ・ワーウィックのセプター時代の作品やダスティー・スプリングフィールドを聞くきっかけにもなったので、私にとって新たな出会いへの扉を開いてくれたかけがえのないバイブルのようなアルバムです。そして、後になって、リンダのこの作品への想いが「伝説的な女性シンガーへのトリビュート」であったと知ったとき、私の胸の奥から熱い共感、共鳴の想いがこみ上げてきたことも忘れられません。自分の心が揺れ動かされた理由がなんであったのかをあらためて実感させられた瞬間でした。「I JSUT DON'T KNOW WHAT TO DO WITH MYSELF」がその象徴ともいえるナンバーですので再びここでご紹介したいと思います。
 最初、「I JSUT DON'T KNOW WHAT TO DO WITH MYSELF」というフレーズからこの曲は失恋したときの憂鬱な気持ちを歌っているのだと受け取ったので、力強いリンダの歌唱とアレンジに違和感を覚えました。特にこの曲のハイライトともいえる「Like A Summer Rose...」からのくだりでは自分を比喩している「夏の薔薇」こそが"生命力"の象徴ですし、この部分ではウェストコーストサウンドの屋台骨を支えたミュージシャンのひとりであるラス・カンケルがたたき出す大きな波が岩に当って砕け散るような流麗なパーカッションの響きにのせてリンダが唸るような躍動感すら感じさせるボーカルを披露しているのです。ダスティー・スプリングフィールドのバージョンを聞いたときに、このアレンジのアイデアがダスティーのバージョンを踏襲したものであるということに気づかされたのですが、では、なぜダスティーはこのような大胆なアレンジを施したのでしょうか。その理由をあれこれ考えてみると、ニューヨークに住むヤングアダルト層のビタースィートな恋愛の機微を綴るのが得意なハル・デヴィッドの詞の世界をどのようにダスティーが解釈して歌へと広げていったのかという過程が見えてくるような気がするのです。単なる失恋の歌ではなく、恋愛真っ只中で満たされているはずなのにまだなお心の中に残る不安に怯えるという女性の心の二律背反を裏テーマに、失恋した自分を持て余しながらもなお恋愛を求めるというもうひとつの二律背反を表現できるとダスティーが解釈して大胆な賭けに打って出たのではないかと私は想像してしまうのです。それが極端なほどのアレンジの切り替えに現れているのではないでしょうか。リンダ・ロンシュタットもそんなダスティーのレコーディングの過程を細部まで研究したのでしょう、その結果まるで30年前のスタジオの空気、気圧までもを再現させようかという熱い思い入れに溢れたレコーディングになっているのです。彼女のその意気込みは共同プロデューサーにスティーブ・タイレルを起用している点にも見て取れます。彼は21世紀になってアダルトマーケット(コンテンポラリージャズシーンというには違和感があるのですが…)にハレー彗星のごとく登場し、今やその世界ではボビー・コールドウェルを抜き去り"スーパースター"バリー・マニロウの牙城にも迫る勢いで人気を集めるシンガー。しかし、それは世を欺く仮の姿、(ハニーフラッシュ!!)、実は1960年代にB.J.トーマスを発掘しスターに育て上げ、セプターレコードのハウスプロデューサーとして名を馳せたキャリアを誇る名物業界人。このディオンヌやダスティーなど歌を本当に歌うことができるシンガー達がバカラック/デヴィッド、ゴッフィン/キングといったヒットメイカーが量産するキラ星のような名曲群を歌い、次々とラジオがそれらを電波にのせて発信していたアメリカンポップス黄金期の歴史的証人を連れてくることで、リンダは自分の作業をより完璧なものに仕上げようとしているのです。そして、ダスティーやディオンヌといった個性的な魅力溢れる実力派シンガーを向こうに回して、なお、カバーバージョンを聞く価値あるものまでに持っていくリンダの歌唱力にも注目したいのです。彼女は1980年代のスタンダード三部作で自分の歌唱力の限界をしっかり認識し、それ以後は、自分の枠を破るような挑戦をボーカルにおいて決してしないことが、聴く者に絶対的な安心感を与え武器にもしているのです。何オクターブの声域を誇るといったことを宣伝文句にしたり、ボーカルアレンジという編曲を変幻自在におこない、本当のメロディーの魅力を凌駕する攻撃的な「歌唱力」を売り物にする現代のディーバ達とは対極に位置する潔さがそこにはあるのです。
(2003年10月)
収録アルバム「Winter Light」(☆☆)

Memo
 さて、スティーブ・タイレルとリンダ・ロンシュタットのかかわりを紐解くと、1986年にリンダがジェイムス・イングラムとデュエットしてヒットさせた「SOMEWHERE OUT THERE」までさかのぼることができます。スティーブ・タイレルはB.J.トーマスのプロデューサーだった1970年にNew Designというレーベルを設立し、マン/ワイルとしてヒットメイカーだったバリー・マンを歌手デビューさせた経緯からか、1980年代はエージェントとしてバリー・マンとシンシア・ワイルが作曲するナンバーを映画やテレビの世界へ売りこむ仕事をしていました。マン/ワイルが映画「アメリカ物語/AN AMERICAN TAIL」用にジェイムス・ホーナーと共同で「SOMEWHERE OUT THERE」を仕上げた時に、当初は主役であるねずみの子供達が劇中歌として歌うだけだったその曲を、大人のシンガーにレコーディングさせてエンディングで使ってみてはどうかと提案したのがスティーブ・タイレルだったそうで、リンダとジェイムスが歌うバージョンにはしっかりと彼の名前が共同プロデューサーとしてクレジットされているのです。リンダとスティーブの縁はそこで切れずに、1989年のアルバム「Cry Like A Rainstorm - Howl Like A Wind」に収録された「DON'T KNOW MUCH」でも再び共同プロデューサーとしてクレジットされています。そうです、この曲の作曲者がまたまたマン/ワイルなのです。リンダにバリー・マンやベット・ミドラーが歌ったこの曲をレコーディングするように売りこんだのがスティーブ・タイレルであることが容易に想像できますね。そして、アルバム「Winter Light」では他にも「OH, NOT MY MINE」や「恋するハート/ANYONE WHO HAD A HEART」、「IT'S TOO SOON TO KNOW」といったあの時代のカバーバージョン作りに参画しています。スティーブ・タイレルはもうひとつおもしろい仕事をしています。ディオンヌ・ワーウィックが1998年にリリースした「DIONNE SINGS DIONNE」に、プロデューサーとしてディオンヌから指名され招かれているのです。まだ、スティーブがリーダー作をリリースする前だったので、ディオンヌがスティーブの力量を判断した材料はリンダの「ANYONE WHO HAD A HEART」やこの「I JSUT DON'T KNOW WHAT TO DO WITH MYSELF」しかなかったはず。つまり、遠まわしにリンダバージョンに対してディオンヌがお墨付きを与えているとリンダファンの立場からは解釈してしまうのです。またディオンヌファンとしてもディオンヌが「DIONNE SINGS DIONNE」のクレジットの中で短いながらも小洒落たメッセージをスティーブ・タイレルに贈っているのが感慨深いです。CDをお持ちの方はぜひご確認していただければと思います。2001年にスティーブはリーダー作をリリースしシンガーとしてのキャリアを新たにスタートさせますが、そのバックアップをしたのは今度はリンダ・ロンシュタット。リンダは全米ツアーのオープニングアクトにスティーブを起用し、それがスティーブのデビューアルバムがJAZZ ALBUMチャート3位になる大成功につながりました。
 ところで、F1黄金時代を知る私と同世代の方でしたら「Tyrell」は「ティレル」と発音したくなりませんか?しかし、ソニーのオフィシャル表記が「タイレル」だったので彼の名前に関してはこちらが正しいようです。

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